昭和47年5月23日 月次祭
中村良一
先ほど、前講を努めておりました、上野先生が、んー、マイクの具合だったでしょうか、私のところへ、全然、聞こえませんでしたんです、ワンワン言うて。けれども、まあ、浅く聞かせていただいたんですけれど、どうですか、後ろのほう聞こえますか、聞こえますか。聞こえる。聞こえますか。えー、聞こえなかったら、何にもなりませんからね。一つあの、おー、前に進むようになり、何とか、あー、とにかく頂かなければですたい。聞こえんと、自然眠気が来ます。せっかく、あの、頂く御教えですから、あ、眠り半分で頂いたんじゃ、やはり、眠り半分です、分かることも。ですからあの、どうでも、よく聞いていただいて、そしてそれをおかげの元にしていただかねばいけん。その、上野先生が、お話を致しております、まあ、あすこ、ここを聞かせていただきますなかに、日頃、親先生が、御道の信心は、有り難うならせて頂く稽古だと、もうこれは、いつもその事を仰る。どのような事でも、どのような問題であっても、答えにおいて有難いという答えを出していく稽古だと、まあ、その事に精進させて頂いておるという意味のお話をしたのではないかと思うのです。そこんとこだけは聞こえたんですから。確かにそうなんです。金光様のご信心のね。他の信心と、もう、絶対の違いは、もうここなんです。ね。もう、私は、今日は、こう言うすばらしい表現法を、今日、初めて皆さんに聞いていただこうと思っております。私は、何の宗旨、宗派でも、有難くなれるという事なんでしょうけれどもね。金光様のご信心の場合もそうだというのではなくて、金光様のご信心の場合はね。もう、その、本当な意味において有難いという答えを出していく稽古なんですよ。どんな場合であっても。今、こちらへお祭りを仕える前に、今日、ある教会での御大祭がございました。若先生が、私の代わりで参ります。まあ、そちらで、えー、ある先輩の先生から、えらいひどい事を言われたと言うて話をしておる。僕のことだけではなくて、それこそ、私に出て来いというような話まであったというような話をしてました。、だから、そういう人達から、そういう事を、まあひどい事を言われる筋合いというものはないのにと思いますもんですから、私も、やはり、穏やかではない。ね。けれども、直ぐ、神様へその事を、こう、あの、名目させて頂いたら、途端に頂きますことがね。あの、大きなあの、のしですかね。昔はこういう、のしのこんなのを、こう、引き幕のなんかに、こういうとこをこう絞って、引き幕ののしの絵をありますね。その、のしの絵のここのところがね、バラバラになっとるところを、ぎゅっとやって、握り締めたところを頂いた。ね。例えて言うならば、私共の、とりわけ、道の教師というものは、もう、神様に捧げきった日常生活でなからなければならん。もう、神様に、何時ものし付けてある生活でなからなきゃならない。それが、ほんなら、これは、若先生の場合であるかも知れません、これは私であるかも知れませんけれどもです。それが、少し乱れておる。だから、神様、そこへ、ぎゅっとこう、引き締めてくださったんだと。それで、私が、その次に、若先生に申しました。とにかくね。そういう、そういう都度都度にです。いよいよ、こちらが、強い信心を頂こうという気が起こるだろうがと。内容を、本当に充実しなければならないと思うだろうがと。とにかく、そういう時ほど、向こうがこう言うたから、こう言うただったら、もうおしまいだろうと。ね。そういう時に、一段と、こちらの信心を引き立てていこうという、そこのところが大事だと、まあ、ここに出る前でしたから、その事一口、まあ、申しましたことでした。ね。して見ると、あん時に、あの人から、ああいうひどいこと言われたおかげで、私が、一段と、しゃんとした信心が出来たという事ですから、おかげで有難い。あの人でなかったなら、と、あれは神様の一声であった、神様のお声であったという事が分かるでしょうが。ね。金光様のご信心は、そこんところが違うんです。普通の信心はね、そこんところを黙って受けるというところまでですね。ね。仏教の、一番最高の修行と言われている、雲水行がそうです。行く雲、流れる水というのです。ね。風のまにまに雲が漂うておる、行く雲のように、または、水が高いところから低いところへ、差しさわりがあれば、それをよけて通るというような、ね。水の流れるように、行く雲、流れる水のように、という修行が、もう、最高の仏教では修行だと言われております。雲水行。ね。雲水の姿をして、ね。托鉢して廻っておられるぼんさん達は、そういうものを身に着けたいとして、一生懸命、妻も含め、家内も捨て、そうして、ああした、隠遁(いんとん)の信心生活に入っていかれて、そう言う悟りを開こうとなさるわけです。京都の、竜安寺という、有名なお寺さんがありますね、あの、石庭のありますところ、有名な。あそこのお手洗い、もう、こんな小さいですけど、私も、一遍参ってね。その、「吾ただ足るを知る」という、その、お手洗い鉢がある、お便所の横へ。何とも言えん格好のお手洗い鉢です。真ん中が、口の字がひとつついとる。まるーい、い、手洗いに、四角ほげておる。これを口の字に見立てておる。ね。口辺に見立てた。そして、われという字は、上に五という字が書いてある。だからこれは吾という事になる。ね。吾ただというのは、只という字を下に点々が書いてある。足るというのは、上の足の下に、下のほうにこう疋という字が書いてある。ね。あの、足という字が書いてある。吾只足るを、知るというじは、こちらのほうへ、口の字をやって、こちらのほうへ、こう、この字が書いてある。知るという字になります。それで、吾只足るを知ると書いてある。これが、もう禅でいうならば、最高の境地である。いつどんな場合であってもです。どんな不幸せな場合であっても、どんなに、物に欠乏しておる場合であっても、それでもう自分は満ち足りておるという心を開くという事が、仏教の最高の境地なんです。ね。なかなか出来ることじゃありませんよね。それだけでも。ね。あるが上にでも求めたい。ね。もう、それこそ、有り余るようにあっても、やはり足らん。貯めれば貯めるでです、もう、それこそ限りなく、貯めようとしたりするのを、仏教では餓鬼道という。ね。餓鬼の道です、もう本当にね、金でも、百万貯まったら、二百万貯めたい。二百万貯めたら三百万貯めたいと言うて、もう、我情我欲を募らせてするなら、もう、これは餓鬼道におるとと同じ事です。食べても食べても、食べ足らないというのですから。食べても食べても、食べ足らない。これは、餓鬼の姿。仏教では、そう教えてある。ね。ですから、只今申します、行く雲、流れる水。また、言うならばです、現在の時点でです、それに何の不平不足もないという事なんです。そういう境地を開こうというのが仏教です。ね。金光教の信心は、そうじゃなくてね、上野先生が言っておりますように、もう、とにかく、金光様のご信心はね、有り難うならせて頂く稽古だ。どのような場合であっても、有難いという答えを出していくのだという事なんです。ね。もう不平不足はない、と、静まり返っているのではなくて、また、成り行きを大事にという事でもです。ね。なるほど、成り行きを大事にさせて頂くという事はです。ね。それこそ、行く雲、流れる水に良く似ておるようであって、実は違うのです。只それをじっとして受ける。ね。大事にするという、尊ぶというのである。それに御の字を着けるというのである。違うでしょうが。ね。どういう成り行きになってきても、それを、ね。黙って受けれる心を開こうと言うのが仏教。ね。いうならば、これは私の定められた運命だとして受けきっていこうというのである。けれども、金光様の、私が言っておることは、ね。それを、成り行きを大事にするという事は、それをまた、今度は、大事にするというところからが違うです。大事にさせていただきよったら、これは、神様が私に下さるものであったという事が分かってくる。だから、御の字を着けなければおられない事になってくる。ね。なるほど、御事柄だというところの頂き方、そこに生まれてくるのが有難いという事なのです。ね。だから、金光様のご信心、合楽で、今、言っておるところの信心の素晴らしいという事は、今申しましたようなことをと言うなら、大変説明もしよいし、皆さん、分かってくださったでしょう。分かったですか。私がもう、もう金光教でなからな出来んともう、最近、もう、あの、最近口を開けばそう言ってますね。他所の宗派のことを例にとっちゃいけんのだけれども、大宗教であるところのキリスト教とか、仏教を、あーその、相手取って喧嘩するという意味じゃないですよ。そういう例を引いてです、金光大神の道は、そういう道じゃないのだと。ね。無常の風が時を、無常の風は時を嫌わんというが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌わすぞという道なんだ。だから、天地の親神様のおかげを受けるところまでは、みんなが、それを、ただ、黙って受けるというところまで行くのが普通の宗教です。ね。けども、金光大神の道はと、はっきり、金光大神の道は、無常の風に時を嫌わすというところから違ってくるわけなんです。私は、その事を、昨日でしたかね、頂きましてから、はー、もう、はっきり、金光大神の道と仰った。金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞと仰った。ね。嫌わせて下さるだけの働きというものがです、あると。それは、てん、これはどういう事かと言うとですね。もう、それこそ、教祖生神金光大神が、自信満々としてです、天地金乃神様が、自分に、御神意を下さってあるという事の表現なんです。ね。此の方金光大神あって、神が世に出た。氏子からも、神からも、両方からの恩人は此の方金光大神であると、言うておられますようにね。もう、自分はね、天地金乃神様からも恩人だというひとつのもう、自信満々としてです。金光大神の道はと、はっきり仰っておられます。運命の元から、運命の、例えば、ここに風が吹いてきてもです、それを横に吹き散らして行けれるだけのです、力を、天地金乃神様から金光大神に、特別の働きをなさるという約束をなさっておられるわけです。金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞと仰る。ね。ですから、もう金光様のご信心の素晴らしいこと、今、金光教の信心、合楽で言っておることが、金光教の信心信奉者のみんながです、ね。今、私の言うておることを、本当に、貴方が言うておることが本当だと分かるとこまで行かなければならないところに、ある意味において、宗教革命が必要だと。ね。ですから、そういう信心を身に着けて、しかも、そういう信心をです、大きく広く、世の中に示していくというところに、合楽の使命があるというところをです、お互いが信じなければいけないと思う。ね。今申しました、全般のことは分かってくださったでしょう。ね。ようくそこを分って下さいよ。金光様の信心の違いは、ね。行く雲、流れる水、ね。吾只足るを知る。というその先にです。ね。それを御事柄として受けれるところに、答えは有難いというものになる。その、有難いというものになるからです。ね。もう、それこそ、ここに頂いておるおかげというのは、いわゆる、ね。もう、諦めのといった意味じゃなくてから、もう、人間が、誰しもが望んでおるところの、いうならば、必要なものが必要に応じて頂けれる世界が、そこから開けてくるところが、また、おかげの世界ですけれども、また違いますね、金光様のご信心は。ね。だから、それをです、広く大きく示していこうという事を、ほんなら、これから、皆さんに一口聞いていただこうと思うのですけども、その示していくためには、ここのところが分からなければ、しかも、分かっただけではなくて、それが皆さんのものにならなければ、示していくことは出来ないでしょう。ね。もう、私はこのくらいおかげ、今朝の御理解じゃないですが、もうこのくらいおかげいただいとるから、と言うと、やれやれになって、そこから、せっかく、自分の道を九里半登っておりながら、そこから油断をして、また、後戻りをするという御理解でしたけれど、ね。私共が、いよいよ、本当に、只今、私が申しますところを、ね。分からせて貰うて、その、分かった信心を自分のものにして行く。本当に、どのような事のなかからでも、有難いという答えが出てくる程しのおかげを頂いたなら、その有難しこそ、真に有難しという心であり、おかげがそこに、みかげの初め、本当のみかげが始まってくる。「真に有難いと思う心、直ぐにみかげの初めなり」と仰る。もう、ここは、金光大神の世界なんですよ。真に有難い世界に、おかげがこれは要らんと言うても伴うてくるというのは、金光大神の世界なんです。
今朝から、えー、丁度、えー、朝の御祈念のお届けを終わらせて頂きよりましたら、あー、電話が架かってきた。そしたらその、今、ちょっと違いますもんね、ですから、前の通りしとったげなもんじゃから、切れとるとです。だ、また、しばらく待っとったら、また架かってきた。そしたら、あの本部から、西岡さんが電話をかけてきとる。もう、弾んだ声で。「親先生ですか。」日々、もう、一週間おかげを頂いて、学院信心生活させて頂いておりますというお礼を申してから、今日はもう、どうでも、あの今朝から、あの、今日あたりもうお手紙がついとると思いますけど、丁度、おー、十日余りの間に、三通、もう、長い長い手紙が来ております。出しましたから、着くと思いますけどもと言うて、やはり、電話で、一時でもはよう聞いて頂きたいというので、電話をかけてきておる模様でございました。先生、昨日、二十二日は、あの、幹三郎君が、あー、正奉仕の御用をいただきました。この、正奉仕というのは、百名余りの学員がおりますから、年に、一学期に一回しか廻ってこないという、ま、大事な御用なんです。まあだ、なれない一週間余りのところへ、しかも、一番年が若いんだそうですけれども、正奉仕の御用を頂いておられます。もう、親先生もう、ご心配下さいますなち。堂々たるもんでございましたち意うて。しかも、先生、夜は、百名からの、九十何名、学院生、それに、先生方合わせると、丁度百名からの、おー、人達を前にして、御教話をなさいましたと。もうその、百名のものが、御広前一杯がね、感激の渦になりましたち言うとります。あの人は、お話が上手じゃございませんでした。けれども、あの人が、夜の御祈念を、何時も仕えますと、もう、楽しみぐらいでした。一言一言のお話が、もう本当に、何とはなしにです、おかげを頂くんです。ね。とにかく、一番に、自分の信仰体験を語られました。ね。いわゆる、その自分のこの顔を撫でながら、ね。いわゆる、肉腫という病気で入院をしたとき、僕はもう、おー、僕にはみんなが言うてくれないけれども、もう、この教会には帰ってこれないと思って教会を出たち。もう、死を覚悟しておったと。私は、その後にその事を聞きましてからもう、驚きました、実は。あの、何日間かのあいだを、あれが本当に、死を前にしたものの姿だろうかと思えば思うほど、そういう感じでした。ね。親先生のおかげで、私が今日助かったという事をです。うー、まあ、どのくらいの時間か知れませんけど、とにかく、もう、とにかく、もう、隅から一人まで、感動しないものは一人もなかったち。一番最後に、講師の先生が、あー、今、大坪君がお話をした後には、どんなにお説教の上手な先生であろうが、どんな偉い先生であろうが、今、大坪君の話した後には、お話の出来る先生はひとりもおりませんち仰ったそうです。もう、それこそ、合楽というところは、どういうところじゃろかと、みんなが目を見張るようなおかげであったというのです。それから、もう、また、班別になって、ね。そして、またそのことを中心にして話し合いをしましたらです。そんなら、金光様の教師というのは、一遍、死ぬか生きるかというところの死線を越えなければ出来ないじゃないかと言うて、反発をするような人達も、段々ありましたけれども、ね。結論として、幹三郎君の話に、みんながもう、それこそ、感動いたしましたと。まだ、他に、色々申しておりましたけどね。をれを、私、聞かせていただきながらです。本当におかげだなあと、合楽のゴヒレイだなと思いました。ね。これが、一ヶ月先とか、二ヶ月先だったら、もう、慣れっこになってから、学院生が話すぐらい、そう大したことはなかろうと思います。けども、まあだ、一番若い、それも、ボツボツとどもりながら話すのですから、余計、固唾を呑んで聞いたのではないでしょうか、皆さん。ところが、出てくるその話というのは、もう、それこそ、もう、本当に、御道の信心に、こういう生き生きとしたものがあったのかと、もう、再認識をさせるほどしの事であったに違いはないです。ね。そして、こういうおかげを頂いたという、例えば、お話のなかからです、ね。私は、それを聞かせて頂いてから、あー、思わせていただくのですけれども、ね。私は、今日、皆さんに、ね。ここまでは皆さんが、私は今日、金光様の信心の素晴らしいことを説明しましたでしょう。それも、分かりやすく説明しましたでしょう。ね。金光様の信心な、これからが違うんだと。ここんところからが違うんだという事を聞いていただいたでしょう。だから、そういう信心を皆さんが身に着けて下さり、おかげを頂いて下さってです。それを、機会が来たならばです。それこそ、大きく広く、世の中に示して行けれるところのおかげを頂かなければならないという事なんです。ね。いうならば、神様が、幹三郎にスポットを当ててくださった。言うなら、クローズアップされたような感じである。(口頭かかなまるというのは?)、喜三郎君の存在というものは、それこそおとなしい。先日も、正奉仕になっても、朝の二時半から起きて、バタバタしよりなさいますから、ね。幹ちゃん、大変ねといったら、只、もう、にこっと笑われるだけでしたち。もう、いつ、あの、班が違いますからね。えー、ですから、幹ちゃんどう、と言うても、ただ、にこっと笑うだけだった。もうこれは、あの、こちらへおる時でもそうでした。んー、と、ものを言わん。ね。けれども、内容には、そのようなおかげを頂いてです。もう、僕は絶対、御道の教師にはならない、信心は止めないけれど。もう、兄弟がおりますけれど、この人一人でした、これをはっきり言うのは。だから、自分で工業学校という違った道を選んだんです。それが、ほんなら、おかげを頂いて、ない命を助けていただいて、その時点からです、ね。この命を神様に捧げるという事に燃え立ってきた。その話がです、一年前に、こういう広大なおかげを頂いただけならば、大した反響はなかったろうと思う。けれども、退院をした、その翌日から、丁度、一年五ヶ月間、三時十五分に、目覚ましのおかげを頂いて、三時半の、私のここの、いわゆる、出てまいりますのに、一日も欠かさず、言うなら、マルショウで、どっか泊まった時なんかは別でしたけれども、それ以外は、一日も欠かすこと無しに、やはり、その奉仕をし続けたという修業がです、ね。私は、その修行という裏付けがね、そういう感動を呼ぶほどしの素晴らしい話しになってきたのではなかろうかと、私は思います。おそらく、その事をまた、細やかに、西岡さんが手紙にそれをしてくださることだと思いますけれども、その事を、私は、今日、おー、両親のところに、今日はね、こげなふうで電話が架かってきた、それから、両親にすることはというと、両親が泣いて喜びました。あー、幹ちゃんがこつは心配要らんの、そがなふうならばと。本当に有難い、もう、あの人がなんち言うたっちゃ、自分が体験ば持っとるけんと言うて、母と父が、それこそ、涙を流してその事を喜んでくれます。ね。とにかく、私共の頂いておる信心がです。大きく示されましても、それが、いわば、仕方もない信心が示された分じゃつまらんのです。ね。今日、私が言う、金光教の信心の、いよいよ真髄、いよいよ本当なところ、ね。ここを頂かなければ、金光様の信心する値打ちはないというところを頂かせてもらって、ね。その事のおかげで、なら、おかげを受けたではなくて、そのおかげを受けた時点から、ね。神様への神恩報謝の一身をささげての、捧げるという、その、しかも言うただけじゃない。実際に、それを行の上に現していっておる、この幹三郎の信心をです。ね。ま、皆さんに聞いていただいたわけですけれども、大きく示していくという事。ね。だから、そういう、私は、心掛けでおると、神様が、そういうチャンスを下さると思うのです。ね。昨日から、あー、豊美が手紙を持ってまいりましてから、この頃は、あちらで入院しておった。そこでの、同室の方が、もう、一生懸命合楽の話をした。ご夫婦が、もう、偉い感動して、ほらもう、金光様ちゃ、そげん有難かですかと言うて、その、金光の近所におられてから、金光様を知られなかった。改めて、金光様のお取次ぎを頂いて、おかげを頂いて、そしてあの、退院のおかげを頂いたからと言うて、豊美のところへお礼に行かれた。ところが、こちらへ来ておるので、こちらへその、長々と手紙を出して、お礼の手紙が来ておる。もう、そのない世の中にですね。もう、神様の、素晴らしいことに驚くばかりのことが、内容にあるのですけれども、もう、時間がございませんからね。いわゆる、大きく、例えば、豊美の顔を立てて下さるというかね、大きく示して下さるというか、または、古川の家にでもです、豊美が例えば、入院したことが無駄ではなかったというようなものをですね。おそらく、おじいちゃまでも、おばあちゃまでも感じなさっただろうと思うほどしの事柄が、その次に出来てきておるわけです。ね。ですから、内容に持っておるという事を現したい。そういう、私は、願いというものが、何時もなからなければいけない。ためにはね、えー、いよいよ、私共がです。もう、何宗、何派とは絶対違ったところの、金光教の信心はここだというところをです。ね。上野先生が言っておりますように、とにかく、有難くならせて頂く稽古という事は、大変な偉業を持っておることが分かってまいります。今日、始めてその事を聞いていただいたわけですね。他の宗旨にはそれはない。そこんところをです、私共が、いよいよ、極めて行っておかげを頂きたい。しかもそれを、広く大きく示して行こうと。佐藤君がここで頂きましたように、今日は、その佐藤君の話もしようと思ったんです。佐藤君が一週間、丁度、幹三郎たちを指導してくれた。ここで、去年修行しておったでしょう。ね。そっで、昨日帰ったという事ですけども、その、佐藤君が頂いた大きく、奈良の奈という字、大きく示すという事を頂いた。というようなようにですね、私共が、本当なものを頂いて、それを、本当に、私共の周囲にこう、大きく示していく責任を、私共が感じさしてもらうほどしの信心をね、頂きたいと思う、どうぞ。